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 ピアノで日本と本場は何が違う?

私が言わなかったとして、外人さんはきっとそう思ってるだろうなぁというお話です。 日本の澄んだ音が好きな外国の人もいれば、無宗教な人もいます。結局音楽は感動や生きる糧、幸福感を共有するものでしょうからその部分では変わりありません、違いはあれ良いものは良い、それに尽きると思います。今回は良い悪いでなく違いを書きます。前向きに受け止められれば、もう半分音楽を楽しめるとも言えます。ピアノを弾く方と違った目線、ピアノを器具、奏者を入力元とした目線、苦労されて演奏せず、感情が入り込まない調律師が客観的に見てメンタルの違いなどをお伝えします。


他国の伝統文化の楽器を演奏するという意味

ピアノを演奏される方、調律師の仕事をしている私も意識しないことはありません。よその国の文化を理解するところから考えなくてはならず、対比でイメージてみたいと思います。日本でピアノを弾く、反対ならピアノの本場ドイツだとして、ドイツでドイツ人が和楽器を弾く。実感としてどれくらい違うのかイメージしやすいと思います。


 1,メンタル



よく見るメーカーのロゴに竪琴を見ます。ヤマハでもディアパソンでもカワイでもこの竪琴がいたるところにイメージされていたりします。

この竪琴はキリスト教の神を賛美するときに使う竪琴です。聖書に出てくるそうです。聖書には神を賛美して音楽を奏で踊れと記されているそうです。神を賛美する竪琴のような音色をさせたい、その決意の証です。

私はキリスト教ではないので、神を賛美するという実感がわきません。西洋の神を賛美したこともありません。竪琴がどのような音色かイメージできません。竪琴ならハープみたいな音色だろうか?

反対に琴をドイツの方にイメージして頂くとしたら、(竪琴が寝そべっているのが琴なんだけど、気が引き締まって緊張感のある音で優雅です。その緊張感は神社でお参りをするときに神様の前で手をたたいて、心を清めた感じに似ています。)そう説明します。

その心を清めた感じをドイツの方にどう説明すればいいのですか?同じことで、竪琴の音もドイツ人の方も私には説明できないでしょう。

ですから正確に実感としてピアノの音色を理解するなら、キリスト教を理解しなければならないでしょう。


2、感性、耳

ピアノが神を賛美する音色なら、似たものはないのだろうか?讃美歌歌ってるときにパイプオルガンを弾いている、ふわっと天に舞い上がるような音、あのような音でしょうか。何しろ神は天にいますから、天に届けなければなりません。

反対に琴を弾いてるとき、もしくは聞いているとき、天まで届けとは思いません。日本には天上にも神がいますが、山、川、海、家、木、刀、台所、火、水、どこにでもいますので、目の前の琴の音を聞きます。

ですから、琴を弾くように、琴を聞くように、目の前の音を聞くようにピアノは作られてもいませんし、そのように演奏するようにも作られてもいません。

じっさい目の前のピアノの鍵盤の音色のバラツキが気になりすぎたり、音の止まりが悪い、雑音を過度に気にされる場合は、ご自身がピアノを弾いているのに琴を弾いている感覚になっていると思ってください。私たちは神様が天上にいると実感していませんので仕方ないと思います。

アンサンブル、伴奏などで他の楽器と合わせる場合、お部屋の響きを聞き、混ざりあう実感をしなくてはなりません。それが出来て少し琴の耳から離れられると思います。


3、タッチ、弾き方

琴を弾くとき正座をして、まずは姿勢を正し、腰から上面を支えて前かがみで演奏すると思います。ドイツの方にその姿勢をとっていただくことは難しいかもしれません。畳の上で所作をする、畳で御膳をいただく、正座してお椀をもって箸でいただく、イメージしてください、お椀が揺れないように腰と肩を静止して静かに頂く。日本は腰の文化、腰を入れる、肝を据える。腰で体を支える文化です。

反対にドイツの方はイスに座り食事をされます。腰に体重がかかって腰はほぼ固定されます。腰が使えないので肩を使います。肩を柔軟に動かしてナイフやフォークを使って食事をされます。そして靴を履いて生活されます。靴を履いて座るようにイスは高く作られており、お椀を持つことを西洋の方はしませんし、肩が自由に動くようにテーブルは低く作られています。しかし、日本では靴を脱いで食事をします。靴を脱いだ分イスは低く作られ、お椀を持って食事をしますので、テーブルは高く作られています。

本来は食事の時のイスとテーブルの高さがそのままピアノの鍵盤とイスの高さになります。しかし、日本人はお椀を持つので肩を固定する習慣です。靴を脱ぐのでその分イスは低くなり、鍵盤の位置もその分高くなります。日本の文化の腰はイスで使えず、西洋文化の肩も鍵盤の位置が高いので使えません、もっと言えば体の重心をかけることができないのです。
試しにピアノの前に座ってフォークとナイフを持ってください、かたい肉を切れますか?箸で魚をちぎる高さになっていませんか?力の入り方がそれだけ違います。脱力と先生がご指導されますが、それも肩を固定する文化から離れることを指導されているのです。西洋圏の外人さんに肩こりはあまり聞きません。


琴を弾くなら畳で御膳をいただき、ピアノを弾くなら靴を履いて西洋のテーブルとイスで食事をするのが練習になるのかもしれません。


4,発声

百人一首や俳句などの声をイメージしてください。和みますね、何か琴の音色と似ていませんか?最初の発声が最大でそのあと静かに消えるように話す。さらさらと清潔感のある上品な音。言葉も音楽も表現だから主張をしなくてはならないのにと戸惑うと西洋の方なら感じることと思います。

ピアノは音量の盛り上がりが遅れてきます。西洋の言語も発声のピークが頭だったり後ろだったりバラバラで複雑な気がします。主張したいいところを強調するのでしょうか。そのように複雑な表現ができるようにピアノは作られていると思うのですが、体感としてそれを生かすことに馴れません。

日本人はお椀を持つ文化から肩を固定させていますので、声は直線的で、歩き方も、佇まいも着物が似合う美しさがある思いますし、声も太さはありませんが繊細で緊張感があります。西洋の方は肩というか上半身が柔軟ですので、歩き方も大手を振って、肩を左右に揺らし、声も体を使って太い声を出します。そのまま民謡と声楽の違いを感じます、良い悪いでなく違いですが、ピアノの音にもはっきり出ます。同じく日本のピアノは日本の曲を奏でますと最高です。



5,バカにできない習慣のできること。

考え方を変えれば、ピアノを楽しめる伸びしろが倍増します。
琴で考えてみましょう。ドイツの方が、ドイツで琴を学んでいるとして、100万から300万の琴に買い替えたい、これではダメだと。
その前に畳を買って神棚を置き、手をたたいて拝んで、正座に慣れて、畳の上で食事、琴の場合は和服も着こなしてみる。
だいぶ違うと思いませんか?きっと100万円と300万円の琴の音色以上に。
そんなドイツの琴の奏者は、この人本物志向だと私は感じます。

ピアノでそれはできないか?
上履きをとりあえず履いて、フォークとナイフで肩を使って食事をしてみる。テーブルを買うことが出来なくても、イスはピアノのイスなら高さ調節できます。手の甲よりひじの位置が高くなる高さです。体の重心をかけてフォークで刺し、ナイフで切ります。肩は自由に動かせます。映画からでも肩の使い方は見れます。それが自然なピアノを弾くときの肩の動きの繋がります。
ピアノの上だけでも十字架を置いて、せめて大まかな聖書のストーリーを知り、神にお祈りをしてみる。その心でピアノを弾いてみる。
歌舞伎役者も、能の演者もはじめは神棚を拝みます。演目が何であれ、根底に神がいます。同じく神を感じるように、声が聴けるようにキリスト教の方も拝んでいます。

そこまで考えますと、なぜピアノを弾いたり、私の場合はピアノをメンテナンスしているのだろうか?という根柢の壁に当たってしましますが、目標であり課題です。しかし、外国で試験を受けるわけでもないし、キリスト教に興味を持てない方が多いと思います。私もその一人です。クラッシックもジャズもポップスも本場はどうであれ、楽しめればそれでいいでしょうし、日本人ならではの物も必ずあるはずです。



6,まとめ

先人の方々、現在の素晴らしい演奏家、ピアノ技術者の方の功績があってこそ、ピアノに接することができます。私も感謝と尊敬をしています。
プラス、文化の根源の宗教と生活スタイルに入り込むとより楽しめます。


キリスト教のことは分からないのですが、日本の神が山や天、国、生き物に宿るとして、キリストの神は、万物の創造主です。遺伝子を作ったのも、精神を作ったのも、人間を作ったのも神、音楽はその神様とコネクトされる瞬間です。日本の神は家系をたどると天皇に行きつき、天皇は神とつながっています。キリスト教の神はその人間を創造したとなっています。その想像もつかない知性と音楽はつながる瞬間で、その喜びは計り知れないだろうと思います。孤独な方も悩んでいる方も想像主の神とコネクトされる。

日本人も自国の伝統楽器には尊敬と本能で神が宿るることを知っています。腰を使う文化もスポーツ、日本武道など伝統文化から切っても切れないものです。対して、西洋のイスに座ることは紀元前から続いており、肩を使う文化も同等の深さがあると考える方が自然です。西洋の楽器は神を賛美している。

自分で満足するのと、万物の創造主とコネクトされる喜びは比較になりません。出てくる音も変わってくるはずです。神を信仰する行為は文化だと思えば、異宗教の違和感、洗礼の義務から解放されます。


これだけいろいろ書きましたが、私自身はキリスト教になるつもりはありません、仕事の時だけ、ピアノに触れるときだけ意識します。また、今更キリストを本気で信じれませんので、それなりです。








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